亡き王女のための夜光祭

68/78
前へ
/84ページ
次へ
 朝焼けに赤らむ水平線を前に、一人の魔術師が波打ち際を歩く。  両手に抱えた亡国の姫リューナは朝焼け程度の日光にも耐えられず、その蒼白な肌を焦がし、ひび割れさせている。  ローブを被せてせめて日光を防ごうと考えたが、リューナは視界を遮られるのを嫌った。  網膜を焼かれ、もう殆ど視力は失われているというのに、リューナはたとえ身を焼かれたとしても、外の世界に触れる事を望んだのだ。 『こうして……いると……ガリアに旅行した時の事を思い出しますね。真珠のような浜辺で……潮風の気持ちよかったこと……覚えていますか……? お兄様達と沖まで競争して……私達のボートがひっくり返って。ふふっ……』 「ハハ……ああそんな事も。あの時、貴重なルビーの魔道具をなくして、師匠にこってり絞られたんだ」 『……あなたが私のせいだと言い張って、並んで叱られたの、まだ忘れていませんよ?』 「それは……すみません」  遠い記憶だ。  魔界に置き忘れて来たのか、ラシヴェルは仔細を覚えていない。  だがリューナはその素晴らしい思い出を昨日の事のように懐かしみ、ラシヴェルに話して聞かせた。   宮殿内の中庭の木にブランコを取り付けようとして、枝を折ってしまったこと。  初めての鷹狩で馬ごと沼にはまってしまった時のこと。  城下街に出て初めて食べた野鴨の炙り肉の味を、まだ覚えていること。   ラシヴェルが殆ど覚えていないような昔の話を彼女は事細かに記憶しており、彼を驚かせた。  リューナは、その半生の大半を戦場で過ごした姫だった。  火花を散らす不死鳥のマントを纏い、常に最前線で槍を振るい続けた勇壮な戦姫。  その一騎当神の英雄譚は歴史であり、神話だ。  だがそれらの鮮烈な戦いの記憶より、今際の際に立ったリューナが思い出すのは、戦いと戦いの合間に僅かに在った心安らげる穏やかな日常だった。 『はあ…………私は……幸せ者でした』  語り疲れたのか、リューナは締めくくるようにそう呟いた。  それが合図だと、ラシヴェルは悟る。  リューナは言外に言ったのだ、“もういい”と。 「はい。姫様は……幸福であらせられた……」  きっと誰にも肯定されないであろう彼女の幸福をラシヴェルは涙ながらに肯定した。  ならば後は、民が幸福であればいい。  リューナは力なく嬉しそうに微笑み、ラシヴェルもまた、微笑み返した。
/84ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加