9/22
前へ
/22ページ
次へ
 あちらを替えればこちらが切れる。いい加減、大家に連絡するのも面倒だ。さっさとLEDに替えればいいものを。 「あの」  隣り近所十件先まで響きそうな、男の野太い悲鳴が木霊した。  もちろん、自分の声だ。  頭上にばかり気を取られて、廊下の暗がりに佇む人影に気付いていなかった。  廊下には女性が立っていた。  より正しくは、女性らしき誰かだ。  頭のてっぺんからスニーカーのつま先までずぶ濡れで、顔には長い黒髪がべったりとまとわりついている。無地のTシャツにジーパンというありふれた姿だったが、濡れて張り付いた胸の膨らみだけが、彼女が女性であることをことさらに主張していた。  強張った顔と引け腰のままで目の前の人物を凝視していると、彼女は腰を折って頭を下げた。 「驚かせてしまい、申し訳ありません」  上げた顔にはさらに髪の毛が張り付いて、もはや紫色の口唇くらいしか見えない。二度目の悲鳴を飲み込めたのは奇跡に近い。 「あの。こちらを、お返ししようと思って」  と、彼女が両手を前に差し出す。  その手に握られていたのは、いつぞや失くした財布だった。  どうして今頃といぶかしむ気持ちが態度に出たのか、彼女はまた腰を折った。     
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加