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空になったグラスを近くを通り過ぎようとするウエイターに返そうと体ごと振り返った時、大勢の人の向こうにいる青年と目が合った。 「あっ」 二人だけを残して世界中の全てが消えてしまったかのように、彼だけしか目に入らない。 彼に向けた視線を動かすことができない。 彼しかいらない。 なぜかその一瞬に、鈴蘭の全てが彼を求めだす。 「あ、誠悟くん!」 身動きすらできなくなった鈴蘭の隣で未知が手を振った。 鈴蘭は恐る恐る未知を見た。 未知の視線の先に立つのは、鈴蘭と視線を合わせていた彼だ。 未知の声に彼の方も、はっと金縛りが解けたように動き出した。 ゆっくりと人の波をかきわけてこちらへ歩いてくる彼を見ていると、どきどきと鼓動が速くなっていく。 ──なにこれ、こんなの知らない。 誰かを見て、こんなに欲しいと感じたことはなかった。 一目惚れとはまた違う、もっと狂ってしまいそうなほどの彼を求める渇望。 「鈴ちゃん、彼、箱宮誠悟くん」 何も知らない未知が彼を鈴蘭に紹介する。 鈴蘭は伏見に教わった笑みをようよう浮かべながら、誠悟にすがりつきそうになる身体を必死で堪えた。 「今晩は」 「今晩は」 名前なんてどうでもよかった。 ただ彼が存在するという事実に心が震え出す。 そしてどうしてか、誠悟も同じ気持ちを感じているのがわかる。 自意識過剰ではなく、彼も鈴蘭を求めているのがわかるのだ。
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