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彼女は髪を耳に掛け直し、抑揚のない声で話し続ける。
「人が中に入れるくらいの木の桶に入れられた浅葱は、この近くにある干上がった神指池の底に生きたまま埋められました。言い伝えでは白装束に身を包んだ浅葱は、桶の中で念仏を唱えながら十日ほど後にひっそりと息を引き取ったそうです」
「……」
「それから数日後、この地方には雨がもたらされて神指村は救われた。村人たちはこの雨を、神仏の贄となった浅葱のご加護だと言って供養塔を建てたんです」
「そう……ですか」
俯き加減に言う私を見て、彼女は微かに笑みを漏らす。
「何がおかしいんですか?」
怪訝な表情で訊ねる私に、彼女はどこか冷たい眼差しを浮かべる。
「言い伝えというのは都合の良いもので、表向きはさも口当たりの良い美談に創り換えられてしまうものですから」
「表向き……?」
小さく頷いた後、彼女は元のように無表情に戻って告げる。
「ええ。実際には、浅葱は村人たちの手によって無理やり桶の中に押し込まれ、桶の蓋に釘を打ち付けられたそうです。そして浅葱が死ぬまでの数日間、ずっと彼女の悲鳴と呪いの声が村には響き渡っていたと言われています」
「呪いの……声」
息を飲む私を余所に、美濃部灯子はゆっくりとワンピースの裾を直して立ち上がると、窓の外に見える白い漆喰の塗られた蔵を目で促す。
「ご覧になりますか?」
「何……を?」
「浅葱が押し込まれたその桶、あの蔵に置いてあるんですよ」
振り返ったその黒い瞳の奥が、どこか鈍く輝いているような気がした。
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