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蔵の前まで来ると、灯子は赤茶色に錆びた南京錠の鍵を取り出す。ガチャリという鈍い音とともに、錠前が開く。
湿気てカビ臭い空気が、蔵の中には立ち込めていた。入口の電気を点けても、薄暗い室内には頼りなさそうな裸電球が天井からぶら下がっているだけだった。
漆喰の壁に覆われた室内は思ったより広く、一番奥に間仕切りされた木製の扉が見えた。琥珀色の電球が仄かに照らす中、灯子は棚に並べられた高価そうな壺や調度品には目もくれず、通路の一番奥にあるその扉へと向かっていく。
「ここです」
引き戸に手を掛けて、彼女は言う。
「私も……入って良いのですか?」
「構いませんよ」
彼女は僅かに口の端を上げる。初めて見せた表情の変化だった。
木の軋む音とともに片開きの引き戸が開かれると、室内にはヒンヤリとした空気が漂っていた。薄暗くて隅々まではよく見えなかったが、がらんとした部屋の一番奥に、1メートルほどの木製の桶が置かれていた。
「あれが?」
「ええ。浅葱を押し込んで、地中に埋められていたものです」
桶は表面こそ茶褐色に変色していたものの、竹で編まれた箍もしっかりと結わえられ、傷んでいる様子はなかった。だがやはり座棺と言うべきだろうか。桶には通常あるはずのない木の蓋が乗せられていた。
「……」
戸惑う私を余所に、灯子は躊躇なく桶へと近付いていく。
「どうかしましたか?」
「え、いや……」
辺りの空気は冷たいのに、何故か私の背中にはじっとりとした汗が滲み始めていた。そんな私の心境を察したのか、彼女は冷ややかな口調で言う。
「大丈夫ですよ、中には何も入っていませんから」
「あまり気味の良いものじゃありませんね。特に浅葱がこの中で息絶えたかと思うと……」
頬を強張らせる私を尻目に、灯子は無造作に蓋に手を掛ける。
「開けてみますか? 中には浅葱が爪で内側を引っ掻いた痕が、今も残っていますよ」
「あ、いえ……結構です」
私は慌てて断る。数百年経っているとはいえ、やはり棺桶の中を覗き込むというのは気分が良いものではない。
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