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【3 屍蝋】
「な……」
閉じられた扉に体を押し付けたまま、私は言葉を失う。
桶の周りから、青白い光が煙のように立ち上っていた。その煙はまるで蛇のごとくゆっくりと座棺に纏わりつくと、閉じられている桶の蓋をカタカタと揺すり始める。
そして少しづつ……、
青白い光に誘われるかのように、木製の蓋が桶から徐々にずれていく。
ざりっ、ざりっ……。
蓋の開く音だけが、薄暗い部屋の中に重苦しく響き渡る。
「う……あ」
声が出なかった。乾いた呼吸だけが、呻き声となって喉の奥に絡みつく。
頬を伝うじっとりと冷たい汗を拭うことも忘れ、私は目の前の異様な光景をただ見つめていることしか出来なかった。
土埃がぱらぱらと桶の縁から落ちる度に、腐臭がますます部屋の中に拡がっていく。
「お、桶の……中に」
さっき灯子は何も無いと言った。だがその蓋は、間違いなく内側から押し開けられている。だとすれば、座棺の中に居る者は……。
「あ……浅葱……なのか?」
その時、蓋のずれた桶の縁を、真っ白い指が掴む。爪の剥げた指から真っ赤な血が滴り、桶の縁を伝って流れ落ちていく。
「そ、んな……」
桶に掛けた手の皮膚がずるりと剥げ落ち、真っ白い骨が剥き出しになる。屍蝋化した腕が、腐った肉と皮をかろうじて骨に繋ぎ留めたまま、だらりと桶の外に出される。
ガリッ……ガリッ……。
骨と化した指が、桶の縁を掻き毟る。その度に肉片混じりの血飛沫が飛び散り、床を鮮血で赤く染めていく。
「ひ、ひいっ!」
私は再び背後の扉にすがりつくが、青白い光に照らされた扉が開く気配は全くなかった。
行き場を失った子供のように、私は頭を抱えたまま身を縮める。
信じられなかった。何故……私が? 私はただ、話を聞きたかっただけなのに……。
その間も、桶の縁を掻き毟る音は次第に激しくなっていく。
ガリッ……ガリッ……ガリッ……。
あまりの恐怖に意識が朦朧としてくる。
「ひ……い」
うずくまった私が悲痛な呻きを上げた時――。
突然、扉の向こう側から声が聞こえてくる。
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