【1 取材】

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【1 取材】

「申し訳ありません。わざわざ遠くからお見えになったのに……」 「あ、いえ。こちらこそ。押しかけてきたようなものですから」  人差し指で頬を掻きながら、湯のみに口をつける。  私を客間に案内したのは、意外にも一人の女だった。清楚な白のワンピースに身を包んだ女は、美濃部灯子と名乗った。 「お昼に薬を飲んだので、祖父もじき起きられると思うのですが……」 「ご無理なさらずに」  恐縮する私に、女は静かに微笑みかけてくる。私が取材を申し込んだ美濃部滋吉は、今は体調を崩して奥の離れで寝ているという。  神指(かみざし)村は山間の寂れた農村だった。過疎化が進んでいるらしく、車でこの家に来るまでにも数件の古民家しか見当たらなかった。  私は雪見障子で仕切られた縁側の外に目を移す。茶色に色づき始めた山の端には、うっすらと灰色の靄が掛かり始めていた。 「この家で、御爺さんと二人で?」 「ええ。私の両親は鳴宮市に住んでいます。祖父は昔気質な人ですから、土地からは離れられないようで……」  美濃部灯子は囁くように語る。透き通るように白い肌で端整な顔立ちをしているが、その横顔はどこか無機質な人形のように見えた。  私の視線に気付いた彼女が、急須で湯のみにお茶を注ぐ。 「民俗資料館の汐原さんも褒められていましたよ。熱心な作家さんだって」 「あ、いえ。下手の横好きってやつです」  苦笑いしながら頭を掻く。  素人作家が取材旅行というのも随分とおこがましい話だが、私はしばしば仕事の休暇を取っては小説の題材となる地方に取材に出かけていた。 「フィールドワークって訳でも、ないんですけどね。その地域独特の空気感というか……匂いというか。やはり小説には臨場感とかリアリティが大切かなって」  たどたどしく説明する私に、彼女は微かに瞳を細める。 「ここに来たのは、神指の伝承や民話の取材に?」 「え、ええ。今回はこの地方の怪異譚を題材にした小説を書こうと思ってまして。滋吉さんが村の顔役で、その手の話に詳しいと汐原さんに伺ったもので」 「怪異譚、ですか……」湯飲みの縁を静かに指で拭い、彼女はぽつりと呟く。「祖父もお話できるのを愉しみにしていたので、残念だと思います」  柔らかい物腰ではあったが、それはどこか違和感のある物言いだった。床に臥せっている美濃部滋吉の話を聞くには、日を改める必要があるのかもしれない。
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