婆伝説  その一

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「よし。婆を引き離そう」  ハンドルをグッと握り、アクセルを踏み込もうとした。  すると、婆はこちらの思惑に勘付いたのか、再びこちらに顔を向けた。 「ば、ババアが……ババアが笑いやがった……お、俺達。ぜってぇ事故る! なぁおい! あいつの挑発にのって、スピードなんか出すなよっ!」  慌てだした友人の言葉で、カッとなっていた頭が少しだけ冷静になる。  けれど、婆は違った。  こちらが「ヤル気」になった瞬間を素早く察知し――――加速した。 「な、なんだぁぁぁ???」  これがマッハというものなのか?  よく、動きが速すぎると残像が見えるというが、カメラのシャッターを数秒開けっ放しにして撮影した光の残像の写真のように、白い影が自分の真横から駆け抜けていった。  まさに「バビュンッ」という効果音が相応しいほどの速さで自分の車を抜かし、前方への車へと向かう。 「あいつ、ターゲットを変えた?」  もしかしたら、自分達ではなく、前の車を事故に導くのかもしれない。  ハンドルを持つ手がじわりと滲む。  友人も補強用のロールバーにしがみつきながら、「やべぇ。ババア、やべえって」と隣で繰り返していたのですが、婆は前方車の真横を通り過ぎたかと思うと、そのままカーブを無視して真っ暗な森の中へと消え去って行った。 「なんだったんだ……」  一瞬にして消えた婆。  あれは一体なんだったのだろう。  この峠でひき逃げにあった死者の霊なのか、はたまた、姥捨て山があった頃、この山に捨てられた婆の怨念なのかは分からないが、やけに負けず嫌いで、自己アピールの激しい婆の姿を目撃したのは、自分や友人だけではない。  仲間うちでは、あの婆を「マッハ婆」と名付けたものの、その後、自分はあの婆の姿をみかけたことはない。  危険運転を注意したくて出て来たのか。  それとも、単なる速さ自慢だったのか。  あの行動に何の意味があるのかは定かではない。
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