第二次みちのく会戦

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 明治時代の府県統合の結果、現在の青森県となったのだが、ここでも南部、津軽の各中心都市の八戸市、弘前市のどちらを県庁所在地にするか揉めに揉め、結果、真ん中あたりの青森市に落ち着いたという経緯すらある(もっとも、青森市は津軽藩領であったため、津軽優勢な結果となっている)。  現在においても、まず言葉が通じない。南部人と津軽人が会話をすると、互いに一言も通じない。  また、例えば高校にも敵対関係がある。八戸市には八戸高校、弘前市には弘前高校。お互いに、自分たちが青森県で断トツだと思っている。特に、八戸高校にその傾向が強く、弘前高校が、 「八高なんかに負けることなど万死に値する!」 と敵視している一方、八戸高校は 「うちが当然青森県一なので、ライバルは他県の高校です。弘前高校なんか眼中にないです」 と、はたから見れば意識しまくっている。さらに、 「弘前には弘前大学があるから、所詮弘前高校はそこに甘んじている。八高はもっと上を目指しているからやっぱり青森県で一番」 と、冗談抜きに弘前高校を見下していた。
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