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二〇××年。
この年の市長選挙が節目となった。たまたま同年に八戸市と弘前市長選挙が行われ、八戸市長に南部氏の末裔である南部義幸、弘前市長に津軽氏の末裔である津軽明信が当選した。
ここにきて弘前市は、南部地方に対する敵対姿勢を明確にした。先述のとおり、南部地方と津軽地方は犬猿の仲だが、現代においてのそれは、あくまで市民の魂に刷り込まれたもの、つまり気持ちの問題であった。しかし津軽明信率いる弘前市は、津軽守備隊を組織し南部地方との境に配置。陸路を封鎖したのである。
対する八戸市。津軽の変化を指をくわえて見ているわけにはいかなかった。武装勢力の突然の国境配置。いつ南部地方に侵攻してくるかもしれない。三八城公園を本陣とした南部守備隊を結成。攻め込まれる前に、石川大尉に百の兵を与え、先制攻撃に打って出たのであった。
その結果、第一まさかり中隊の撤退。損害こそ極めて軽微であったが、初戦は南部軍の敗北と言える結果であった。
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