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「ねえ」
突如。風のように静かな声が、作業に勤しむ少女の耳に響いた。
手を止めた少女はゆっくりと振り返り、声のした方角に視線を向ける。そこにはブラウンのつなぎに身を包み、どこか遠くを眺める少年がいた。緑一色の丘ならばよく映えていただろうヨークイエローの髪も、鮮やかな麻布で飾られた現在の地ではごく自然に溶け込んでいる。
「……なに?」
本当に自分に向けられた言葉だったのか。そもそも本当にこの少年が発した言葉なのか。ジッと遠くを見つめたままの少年に不安を覚え、恐る恐る返答する少女。けれど囁くようなその一言が届くことはなく、少女はふぅとため息をついて丘を登り、少年との距離を詰めた。
相変わらず遠くを見る少年の一歩後ろまで歩み寄り、何か声を掛けようとしたところで気付く。ここからは森向こうの海が見えるのだ……と。
「うわ! びっくりした!」
海に魅入っていた少女は結果的に無言で少年の後ろに立つかたちとなり、暫くしてからその事に気付いた少年がその場を飛び退く。
「失礼ね。そっちが話しかけてきたからここまで登って来たのに」
「え、俺話しかけた? ごめん、無意識だったかも。ぼーっとしてたから」
「あ、……そう」
確かに聞こえたと思ったのに、と怪訝そうにする少女。けれど少年はその件についてそれ以上の興味を示すこともなく、少女に向かって微笑んだ。一方で、少女はじっくりと少年の顔を眺めてから首を傾げる。
「見たことない顔だわ」
「ああ。俺、この島の人間じゃないんだ。世界を周って絵の勉強をしてる画学生」
「そうなの?」
「船が転覆してさ、気付いたらこの島に流れ着いてたんだ。もう二週間くらい前かな。この島の長が快諾してくれたから、ここに住むことになったんだよ」
「うそ。私知らない」
「ちゃんと島のみんな集めて紹介してくれたけどなぁ」
そこで思い出す。島民全員の召集がかかった時、それよりも海岸で発見したアオミノイカという珍味の捕獲に一人躍起になり、召集に従わなかったことがあるな……と。その後にこっそり焼いて食したアオミノイカの美味しさを思い出しつつ、「体調が悪くて行けなかったのかも。ごめん」ととぼける少女。
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