11月11日

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 35歳の誕生日の当日には休みをとっていた。別に誰かと祝うためではない。35というのが、実にキリがよく気に入ってはいたが、僕にとって誕生日はいつもと変わらない日でしかなかった。  健康診断で受けたエコー検査で、気になる部分があると言われ、その日受診することになっていた。とくに不調もなかったので、気にもとめていなかった。その日は血液検査を受けた。検査結果をきくために数日後に午前休をとり、そこで腫瘍マーカーが高かったと言われた。CTスキャンの予約をとらされた。こうもちょくちょく受診が必要だと仕事に支障をきたすと苛立ちをおぼえた。正直、誤診だと言って責任を取らされないために、徹底的に検査されているのだと疑っていた。検査結果をうけて、次の検査のレベルがあがっていく。今まで病気らしい病気をしたことがなかったため、病院はそんなものなのかと、うけとっていた。「腫瘍が、良性か悪性か組織を採取し」と言われ、とうとう、内視鏡での生体検査を受けることになった。  そこで、決定的な診断がおりたのだ。  それからは、何もかもがはやかった。  僕は、上司に検査結果を報告し、早急な入院が必要な旨を伝えた。病名をきいただけで、上司は目を閉じ押し黙った。僕よりも目の前の他人の方が絶望していると思った。  現時点での切除は不可能だと言われた。  無治療での余命は6カ月と診断された。医師の声がどこか遠くから響き「ああ、これが余命宣告というやつか」と思った。  抗がん剤が効いて縮小していけば、摘出手術も視野にはいる。  それでも、この時点で、僕にはまったく実感と言うものがなかった。  なぜなら、目に見える不調は何もなかった。食欲不振はなかったかと訊かれたが、そんなものは忙しければいつでもそうなる。体重の減少も付きまとうものだ。  ただ、超音波で影が映っただとか、数値が高いだとか、医師から言われただけなのだ。  
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