Bouquets of Irises

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**** ******** ************ ****************  この日の夜、私はお父さんの褒め言葉をずっと頭の中で繰り返していた。大人になった今でも覚えている。興奮状態から冷めることなく、布団の中で喜びを噛み締めていた。あの時のお父さんの表情……、一生懸命に嬉しそうにしていたあの笑顔を私は決して忘れない。  今思えば、あの日の出来事がこの夢のきっかけになっていたんだろう。あの児童養護施設にいる間、私はコーヒー・紅茶を淹れる際には必ず率先して動いていた。いつもいつもみんなが美味しそうに私の淹れたコーヒーを飲んでいる姿を見て暖かな感情を蓄えていったのだ。  誰かの為に働く……、その成果としてみんなの笑顔が見られるという喜びを知ったのはあの時が初めてかもしれない。  私は頭の中の記憶の本を閉じ、ゆったりと体を動かす。そして、記憶に引きずられるようにカウンター奥のキッチンから仕舞っていた器具と豆を出し、景気づけにコーヒーを淹れる。  高級感溢れるこの店の一番安い値段設定をしたブレンドコーヒーの香りを肺にいっぱい吸い込み、私はカップに口を付ける。  熱く複雑な苦味のある黒い液体が舌の上を通り、喉へと流れ込む。舌には安い豆とは思えないほどの複雑な味が感じられ、私はその出来栄えに自己満足をする。 「うん。美味しい」  そう言いながら適当に皿を出し、カウンターの上に置いてあるタッパから中に入っているクッキーを二・三枚取って皿に置く。もう一度コーヒーを飲み、皿に置いたクッキーを一つだけ囓る。  サクッとした歯ごたえとバターのいい匂いが口いっぱいに広がる。甘すぎず後を引く美味しさのクッキーはお父さんの大好物の一つだ。まあ、お父さんはケーキも好きだし、和菓子も好きだし、甘党と自分でも明言しているくらい甘いものが好きなんだが……。  私はと言うと、あまり甘いものが得意ではない。だが、自分で作ったこれくらいは何枚でも食べられる気がする。  再び記憶の本を開けてみると結局のところ、お菓子作り一つとっても私はお父さんの喜ぶ顔が見たくて作り始めていた事を思い出す。
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