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美女が、すうっと息を吸い込んだ。
とうとう運命の瞬間だーっ!
「……う゛……」
……お?
意外とダミ声なんだな。
でもそれもまたセクシーか……と思った矢先。
――たぱ、たぱっ
何か液体的なものが、女の美しい唇から溢れ出した。
そして、ぽとり、ぽとりと俺のスーツの胸をしとどに濡らす。
その液体の正体に気がついたとき。
「――ぎゃあぁぁあぁぁぁっ!!」
隣のそのまた隣の車両まで響き渡るであろう叫び声が、俺の口から飛び出した。
右のおっさんが飛び起き、左の若い女の子がスマホからまんまるの目を上げる。
驚かせてすまん。
しかしこの状況なら誰だって叫ぶだろう。
だって……。
俺は今、目下のところ、見知らぬ女から壁ドンされつつゲロを吐きかけられているのだ。
「う゛え、う゛えぇ……」
女は吐き続ける。
驚きのあまり硬直していた俺は、情けなくもゲロを垂らされるままになっている。
美女のゲロが肌着にまで浸透してきたところで、俺はやっと我に返った。
「……おまっ、何してんだよ!」
美女の口から滝のように流れ落ちてくるゲロから逃れようと、壁ドン中の手を押しのけたところで。
「お客さん……大丈夫ですか?」
救世主――もとい車掌が駆けつけてきた。
俺はゲロ女を車掌に任せて、さっさとこの場から退散しようと立ちあがった、が。
「とりあえず、彼女さんを電車から降ろしてください」
「……は?」
車掌の言葉に、俺は不覚にもぴたりと動きを止めてしまった。
どうやら車掌は、このゲロ女を俺の恋人だと思っているらしい。
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