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桐子はこの日の為に買い込んだ小説を、何冊か持って来ていた。ゆっくりと邪魔されずに、小説の世界に浸るビックなチャンスだ。
然し、山荘に来て二日目の朝。
父が社長を務める会社に、問題が発生したと秘書から連絡が入った。
四方家は祖父の代から、名の通った観光地に幾つかのリゾートホテルを展開している。土地建物取引士の資格を持つ母親も、会社の開発部長を勤めていた。事態に対処する為に、如何しても東京に戻る必要が生じたのだ。
でも桐子は、もう少し山にいたかった。
コテージを包む芝生には、銀杏の黄金色の葉が露を受けてキラキラと輝いている。その朝も、秋の少しもの哀しい美しさにすっかり魅せられていた桐子だ。
両親に、無理を言って頼み込んだ。
「せめて今日だけでも、この秋の中にいたいの。一人でも一晩くらいは大丈夫よ」
必死に頼み込む娘に、両親が負けた。
「じゃぁ、今夜だけよ。明日の夜までにはお母さんだけでも、山に戻って来るからね」
仕方なく、両親が折れた。
両親を送り出して、一人でコテージに残った桐子だが。社長令嬢とは言うものの、共働きの両親に育てられた桐子は独立心に富んでいた。
一人っきりで、秋の山を満喫できるチャンスにちょっとばかり有頂天だ。
だが山の秋は、天気が変わり易い。両親を送り出した後で、急に寒くなった。夕方からは霧も出てきて、コテージを濃霧が包み込んだ。
薪ストーブに火を焚いて、暖かい部屋に籠った桐子は。夕食をレトルト食品で簡単に済ませると、持って来た小説に夢中になった。
ドアをノックする音の後で、何かが倒れ込む物音を聞いた気がした。
ビックリして寝そべっていたソファーから飛び起きた時は、本に夢中になっている最中だった。玄関の外からした物音に、少なからず怯えを感じた。
「熊だったら如何しよう」、独り言を呟いた。
恐る恐る、そっと覗いて見る。
玄関の造りも、ロイドライト風の設えだ。玄関ドアの両側は、細長いガラス窓が床から天井まで、嵌っている。
窓の外に、倒れている人影を見付けたのはその時だった。
急いでドアを開けて外を覗いた桐子は、見たことのない男が倒れているのを発見した。
山歩きの服装をしている。大きな男だ。
桐子が揺さ振りって呼掛けても、反応が無い。
意識を失っている男に、困惑した。
手や首に触って見て、その冷たさに驚いた。男を引き摺って、なんとか慌てて玄関の中に引っ張り込む。
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