第二章  許婚

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 他人に話すのは、初めてだった。  正智が三十歳の冬。友人の家で開かれたクリスマスパーティーで、初めて木綿子に会った。  まだ十八歳の木綿子は、早生まれの大学の一年生だった。  桐子の母が呟いた。  「桐子も、早生まれですわ」  「そうだったんですか」、と正智。  実は調べて、もう知っている。  「一目惚れだった」、と恥ずかしそうに顔を赤らめる正智。  木綿子の家は、父親が地方新聞の社会部の記者だったから、正智の恋はなかなかに前途多難だった。そう言って笑った。職業がら、財閥にはアレルギー反応を隠せなかったらしい。  最初は話を聞いて貰うだけでも、大変だった。  「金持ちだからって、何処でも、何時でも門が開かれる、なんて思っているのならサッサと帰ってくれ」、そう言って、取り合っても貰えなかった。  正智は、「木綿子を誘拐する」ことまで考えたらしい。正直なところかなり本気だったと言って、微笑んだ。  何回もこまめに木綿子の家に通う内に、正智に好意を持つようになった木綿子の弱みに、躊躇いなく正智は付け込んだ。  木綿子を強引に口説き落として、婚約者になり遂せたのだ。  そこからは周囲も驚く程の速さで、「あれよあれよという間に、結婚に持ち込んだ」と言うから、両親も明るい笑い声を立てて話が弾んだ。  木綿子が二十歳の時に正規が産まれた。彼はとても幸せだったと、顔を綻ばせて語った。  とても資産数千億円の百地家の当主とは思えない程、打ち解けて気安い雰囲気の正智だが。正規が十五歳の時に、妻が」二人目の子供を身籠った話から、正智の表情が暗くなっていった。  検査の結果、妊娠六か月頃には子供は娘と解っていて、妻がとても嬉しそうにしていたと言って、涙を零した。  妊娠八ヶ月の定期検診に出掛けた日、百地家の車に対向車が接触して事故が起きた。  「救急車で運ばれた病院で胎盤剥離を起こして、子供は死産になり。妻は出血多量で死んでしまった」、と言ってまた涙を流した。  「その妻が、生まれてくる娘の為に用意していたのも、桐子と言う名前だった」、と彼が静かな諦めの声で語った。  「正規の罪は罪として受け止めていますが、桐子さんが百地の家に嫁いでくれたらとても嬉しい」、と言って桐子にも微笑みかけた。  正智の話を聞いてから、桐子の両親も少し折れた。  「婚約を、幾らか前向きに考えてみましょう」、と約束してくれたから。時々、正智は桐子とデートをする許しをもらったのである。  桐子という名前を用意した話は、実は真っ赤な噓。正親の立場を少しは良くしてやろうと言う、ビジネス界で培った勘が言わせた言葉だった。
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