第二章  許婚

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 5・  それは初夏の陽射しが眩い、六月に入ってすぐの土曜日の事だった。  入学式から三か月後の、大学生になって間が無い桐子の前に、陽子が突然に現れたのだ。  正規ともう一度遣り直したいと、ずっと思っていた陽子だったが。彼女の許に正親は、二度とは戻っては来なかった。  二ヵ月前に偶然を装って、彼に会った。  正規と別れた後、彼の会社と取引のある外資系の商社を選んで就職した陽子だった。社長秘書になり、正規と再び接触出来る日を待っていた。  熱く激しく愛してくれた頃の正規が、忘れられなかった。正規の愛を裏切り、健治と関係を持ったあの日々を、どれ程に後悔した事だろう。  素直に彼の許しを乞い、詫びなかった自分を何度も責めて、涙を流した彼女だった。  その二年ぶりに会った正規は、以前に知っていた頃よりもずっと逞しい男になっていた。胸が苦しい位に熱く高鳴った。  厳しいビジネスの世界で、強い辣腕の実業家として生きている男にもう一度愛されたいと、強く望んでしまう。忘れられない思い出が、胸に渦巻いた。  そして、正規の婚約を知った。  「お久し振りです。正規さん」、何とか落ち着いた様子を取り繕って見せる。 優しい大人の女を感じさせる声で微笑み、社長秘書として挨拶する陽子。正規は二年ぶりに見た陽子を、「昔と変わらず美しい女だ」と思って見詰めた。  商談のある度に、陽子に会った。  そして一カ月前に、遂にホテルのバーラウンジで二人っきりで逢った。  別れた頃よりもずっと大人の女の香りを身に付けて、匂いたつ様な艶やかな陽子の洗練された美しさに、正親の心は懐かしいときめきに疼いた。  豊かな胸と、女らしい魅力的な腰のラインは・・桐子には無い物だった。  そこに居るのは、大人の女だ。  バーラウンジでカクテルを飲みながら、大人の話をする魅力的な陽子。  周囲の男達の熱い視線を集めているのに、自分だけを見詰める陽子。そんな彼女に、再び昔の様に男としての熱い興奮を覚えた。  彼の手に、煌めくストーンを爪に飾った細い指を絡ませて、耳元で囁く陽子の艶のある声。  「私を許して・・どんな償いでも、するから」  「どうか、許して」  囁きながら、そっと正規の唇に温かく唇を重ねる陽子を。「欲しい」と、強く思った。
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