第二章  許婚

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 正智と一緒のデートに加わって、屈託なく笑ったり話したりする兄の様な正規の思い出を。十八歳の誕生日に、桐子の指に百地家の指輪を嵌めてくれた後で、そっと抱き締められて。くすぐったいけど幸せだった私を。  今、この女が壊した。  「貴女はお名前を、陽子さんと言うのね」  桐子が呟いた。  殆ど失われたあの日の記憶の中で、少しだけ憶えている正規の声。あの時、正規が呼んでいた名前だけは、決して忘れられなかった。  「陽子」、それがあの時。正規の声が呼んだ名前だった。  深い悲しみが、沈んだ澱の様に心に重い苦みを与える。  「そのダイヤの指輪は、如何なさったの」  聞きたくも無い返事を求めて、勝手に言葉が口をついて出てくる。  「チェックメイト」、と陽子は心の中で喜びの声を上げた。  「愛の証だと言って、ワタシを抱いた後で正規が嵌めてくれたの」  嘘は、言ってない・・・四年前の事だけど、そこは内緒だ。  桐子の中で何か大切なものが壊れて、心に突き刺さった。傷口から温かな思いが、流れ去って行くのが解る。  代わりに、冷たいものが身体中に拡がった。  桐子の視線が冷たく変化する様子に、陽子は怯えを感じた。  「この子供には、手を出すべきじゃ無かったかも」、ふと後悔の念に駆られた陽子だったが。別の記憶がその思いを押しのけて浮上した。  「こんな風に、冷たい鋼の様な眼の光を以前にどこかで見た事がある。何処で見たのかしら」、苛立ちが心をかすめる。  その時だった。  「私との婚約を如何するか決めるのは、正規さんであって。私では無いと言っておくわ」、冷たい桐子の声が耳に響いた。  「さようなら。陽子さん」  レシートを手に取ると支払いを済ませ、カフェテリアを出て行ってしまった。その桐子の後ろ姿を、陽子は呆然と見送った。
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