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その奇妙な店は、緩やかな坂の途中にある。 古い木造建築で平屋建て。 店の前を流れる水路は苔むした煉瓦積み。 その水路の上に架った、短いコンクリートの橋を渡った先に、店の入口がある。 店主はきっと、店の外観とよく似た古狸のようなジイ様。 誰もがそう思って店の前を通り過ぎるだろう。 しかし、建て付けの悪くなった古い引き戸を、慣れた様子で開けて店に入ったのは学生服姿の少年。 百鬼 柊平。 現在、形式上、この店の主である。 「今日はずいぶん早いね。」 時刻は昼過ぎ。 薄暗い店の奥から黒い猫が言う。 事実上この店の主である柊平の祖父の飼い猫。 黒猫の夜魅は猫又という妖怪だ。 「始業式だけだからな。」 柊平は教科書の入っていない軽い学生鞄を、四畳半への上がり口にある年季の入った机の上に置く。 古い机は、その軽い鞄にさえ、キシリと小さく抗議の音をたてた。 雷獣が庭に落ちたあの日から、ほどなくして冬休みは明けた。 あの後も店に泊まりこんでいた数日間、柊平は撫で斬りの組紐を結び直そうと試みたが、それは叶わずにいた。 指先の軽い火傷のせいで、手先が思うように使えず、柊平自身が結んだ結び目すら解けなかった。 そんな手を、両親に見せるのははばかられ、結局始業式の前日、つまり昨日まで柊平はここに泊まっていた。 撫で斬りはといえば、飾りの紅い組紐が切れたまま、定位置、北棟の刀掛けに収めてある。 「その袋は?」 柊平が左手に提げた紙袋を見て、夜魅が聞く。 青竹が薄く印刷された上品な袋だ。 「竹乃屋の羊羹。鏡子のところに行こうかと思って。」 鏡子は祖母の遺した古い手鏡の付喪神。 幼い子供の姿をしているが、被布を着たおかっぱ頭のその姿から、洋菓子より和菓子のほうが好ましいように思われた。 「紐の予備の話?」 「それもあるけど。」 雷獣が庭に落ちたあの日から、西の離の雨戸は開いている。 だからと言って、鏡子が顔を出すことはなかった。 紐の予備の話は、百鬼の母屋にこもっていた数日に夜魅の口から出た話だ。
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