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頭の中が混乱した。見えない周囲を何度も目を凝らして見る。背広のポケットにあるスマホの明かりを使えばいいというのは、もはや頭になかった。その時だった。後方辺りの車両から、ゆらゆらと揺れる明かりがゆっくりと近づいて来ていた。
私は恐怖した。その明かりはまるで無念で死んだ魂が彷徨うかのようだった。それが私に近づくにつれて、一つまた一つと親指ほどの火の玉が増えていく。全身から汗が噴き出てくる。私は逃げようともがいた。必死に座席の上を手で這って、端にある手すりに辿り着く。腰はすでに抜けている。こうみえて私は心霊やオカルトの類が苦手だ。心霊特番やホラー映画がやっていないか、夏場は新聞の番組欄で常にチェックし、見ないように神経を尖らせているぐらいだ。そんな私に対してこの状況はあまりに酷過ぎる。怒りすら湧いてくるが、もう逃げ場はなかった。憑りつかれる。毎日酷使され、恨み辛みを持った地下鉄の悪霊に呪い殺される。恐怖のあまり意味不明なことを思っていると、幻聴まで聞こえてきた。最初は呪詛か何かだと思っていたそれは、はっきりと人の声――いや、歌だと理解できた。
『ハッピーバースデイ、トゥーユー。ハッピーバースデイ、トゥーユー』
その合唱は音程がバラバラで、お世辞にもうまいとは言えなかった。が、私を大いに安心させたのは確かだった。呆然とする私の前に現れたのは、蝋燭のついた大きなショートケーキを持った娘の裕子だった。
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