プロローグ

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「やらなきゃいけないこと?」 女は驚いたというふうに言ったが、薄く開いたままの目は、微動だにしない。 どうでもいいことなのだが、男の時間稼ぎに付き合ってやっているといった様子だ。 男は答えなかった。 しかし女が繰り返し 「やらなきゃいけないこと」 と呟きながら男の腕に触れると、まだ血が止まらぬ傷が痛み、男は顔をしかめて声を上げた。 「もう、我慢することないわよ。 私が楽にしてあげるから……」 女は言って、顔を寄せる。 すると不意に、男の腕が素早く動いた。 どこにそんな力が残っていたのかと思うほど乱暴に、女を浜辺に押し倒すと、まっすぐにその目を覗きこむ。 女は、驚いて目を見開いた。 普通、人魚が出会う人間たちは、もう力尽きて何も考えられないでいるか、死の恐ろしさに恐怖で瞳を震わせているかのどちらかだ。 こんなに鋭い目つきで見返してくる者は、今まで一人としていなかった。
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