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ゆっくりと影が離れる。
濡れた薄紅色の唇を、誰かの指が拭った。
あやめが甘い吐息を漏らす。
「もう、行くの…?」
遠ざかろうとした人影を、あやめの声が呼び止める。
意識を半ば夢に預けたまま、あやめはぽつりと呟いた。
「まだここに居て……秋兄」
――それはここに居ぬ者の名だった。
おそらく彼女が最も会いたいと望んでいる者の。
影が再び近付いた。
一言だけ残してまどろみに落ちた少女の髪を、長い指が優しく梳く。
掌が触れると、無意識に彼女は頬を寄せた。
薄闇に、影の落とした切ない溜息が溶ける。
「…ゆうるりと、お休みなさいませ」
白い額に、影はそっと口付けを落とした。
それは先程のキスとは何かが違った。
もっと優しくて悲しい、そんな口付けであった。
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