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La mémoire 1
どこで産まれたかなど覚えてはいない。
子ネコの頃は必死だった。
身体が小さく、戦いに勝てない私は、パリの路地裏で観光客や老人から餌を恵んでもらい、ライバルたちとの抗争からいかに距離を置いて生きるのか、それだけが目標だった。
自分が他のネコと違うと知ったのは、1歳と半分をすぎた頃だ。他の猫には人間の言葉が分からないし、喉の構造上、人間と同じ音が出せないようだった。人間に話しかけてぎょっとされたことから、人間にとっても私は珍しい存在だと知った。だからといって何があるわけでもなく、餌と縄張り争いに明け暮れる日々に変わりはなかった。
状況が激変したのは3歳の頃。
街のライブ会場で乱射事件が発生し、一番餌をくれていた雑貨屋の主人が亡くなってしまったのだ。乱射の理由は移民受け入れ反対。主人は純フランス人だった。事件によって観光客が遠のき、餌を求めて彷徨った私は、流れ流れてマルセイユへ。
大量の魚が積まれた貿易船に間違えて飛び乗ってしまい、船員の目を逃れつつ30日間。辿りついたのは、大陸の端にある日本という国だった。積み下ろし作業中に船長に見つかり、抵抗したところで敵いそうにないので、黙って連れて行かれることにした。今度はこの人が餌をくれるかもしれない。
目論見は当たった。彼は妻と息子のいる自宅へと私を運び、そこで私を飼うことにした。餌がもらえるなら場所は問わない。この国の食事が合うかどうか分からないが、私は喜んで御厄介になることにした。
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