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ゼンマイ仕掛けの小鳥が1羽、黄銅色の空を蛇行しながら翔んでいる。…見慣れた光景だ。
赤茶けた地面から生える小さな銀色のネジ巻きを右回りに捻ってみると、ジーと音を立て、ただその場でゆっくりと回転した。…何ら意味はないが、見ていると愛しい気持ちで胸が満たされる。
「ふう…今日も「スティムド」は変わり無いようで、なによりですね」
淡い栗毛色のふわふわした天然パーマを、右手で無造作に撫で付ける青年、朶楓。
ややたれ目で人懐っこい印象を抱かせる楓は、黒のスーツパンツに無地のワイシャツを合わせただけのシンプルな服装で、数多の緑が生い茂る森林を歩いた。
楓の左手には、いま女子に人気の濃厚レアチーズケーキが入った紙袋が、悠然と揺れている。
万華鏡のように逐一形を変える木漏れ日を受けながら、微笑みを綻ばせる。なにせ楓が向かう先には、愛してやまない彼女が居るから。
彼女は自分に厳しいところがあるため、時おり扱いに苦労するが…「地球」の甘いものが好きなところは、非常に分かりやすくて好きだ。
人里離れた深い森の道をひた歩いていくと、小さく拓けた場所に出た。
半径10メートルにも満たない円形の更地には、つぎはぎだらけの金属板で形成された小屋…もとい、煙突付きの立派な一軒家(風呂・トイレ・キッチン無し)がひっそりと佇んでいる。
周囲360度、背の高い針葉樹に囲まれている家に近付いてみるも、中からは人の気配がしない。留守中のようだ。
…そういえば彼女は、最近、屋根に塗る雨避けの油が切れたとかで、最寄りの町に買いに行くと言っていた。
ちょうど今日が、油を買いに行く日だったらしい。一旦「地球」に帰るのも手間なので、楓は家の前で待たせてもらう事にした。
「っと。ケーキが傷まないように、氷結魔法をかけておかなくては」
玄関前に座る直前、楓は右手の人差し指を紙袋に添えた。今日は暑くも寒くもないが、生菓子は鮮度が落ちやすく、傷んだものを食べて食中毒を引き起こしてしまう場合も多々ある。
彼女に苦しい思いをさせたくない楓は、心の中に永久凍土の氷を思い浮かべた。すると、近付くだけで空気さえも凍結してしまいそうな厳しい冷気が、紙袋全体を包んでいく。
「…よし、冷えましたね」
これで数時間は鮮度が落ちないだろう、と安堵して、扉の前に座り込んだ。扉に背を預けると、ギィ、と軋んだ。
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