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クローゼットの扉を開ける、という行為は、まさに自らの心の傷口を、えぐるように覗き込むのと同じだった。
痛いのなら…苦しいのなら、そこから目を逸らして、忘れてしまえばいいのかもしれない。
でも、そこには苦しみの他にも、儚く甘美な思い出が混ざっていた。
(痛みに比べれば、本当に微かだけれども)
だから俺は、ついつい自分の傷口をいじってしまうのだ。
無垢な輝きで、俺をみつめる、金色とブルーの瞳。
いつまでも見ていたい、だけどずっとみつめていると、息が止まってしまいそうなくらい苦しくなる。
名残惜しい気持ちもありつつ、俺はかるく頭を振ると、コートをしまったクローゼットの扉を閉じる。
そうして閉じてしまうと、猫彦さんの絵はクローゼットのむこうの闇の中に沈んでいき、俺の平穏な日常からそれは切り離される。
同じことだ。
俺のなかにある、思い出の断片が集まった図書館。
その薄暗い図書館の片隅に立つ俺も、同じように、手元にある分厚い本を閉じると、目の前に並ぶ本棚の一列に、それをしまい込む。
二度と開かれることのない、更新されることのない、俺の思い出。
さようなら。
これで、終わりだ。
電気の消された図書館のなかには、ひとつの棺が置かれている。
その中には、かつて探偵なんて呼ばれた者がいるのかもしれない、だけど、俺にはもう関係のないことだ。
ああ、玄関の鍵が開く音がする。
そして、やさしく俺の名前を呼ぶ声がする。
「江蓮」
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