10月11日水曜日

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 そうして犬彦の指示通りに、お先に失礼しますと経理部の給湯室から出ていく永多の背中を見送りながら、静かに犬彦は息を吐いた。  これから犬彦たちは、順番に営業部のフロアに戻っていくわけだが、そこで彼はすでに、犬彦が戻ってくるのを待っているに違いない。  彼、…森田慎吾が。  その営業手腕について内外から評判の高い、赤間犬彦部長から直に教えを請うために、わざわざ本店から出向してきたとされる森田慎吾。  出向に至るまでの理由も曖昧だが、それよりも気になるのは、彼の振る舞いには、奇妙なところがある点だ。  まるで監視しているかのように、とにかく森田は就業時間中、常に犬彦の後を追い、その仕事ぶりを逃すまいとみつめ、そして犬彦がいないときには、周囲の人々にその人物像について聞き込みをするのである。  一見すると、早く新しい職場に慣れようと努力している、ただの仕事熱心な新人のようにも思える。  だから犬彦も最初は、彼につきまとわれていると感じるのは、ただ自分の自意識過剰なだけであって(いや、むしろそうだと思いたかった)気のせいだと思い込もうとした。  犬彦に対する森田の態度には、これといって悪意のようなものは感じられなかったし、むしろ森田は、犬彦に対して礼儀正しく、仕事ぶりも生真面目だった。  過程はどうであったとしても、一度チームに入ったからには、彼に対して変な疑念を持ちたくなかった、という思いもある。  だが、まわりの人々も(永多たちのことだ)客観的に見てそうだと感じているのなら、やはり森田は、意図的に何かの理由があって、犬彦を観察していることになる。  もしかしたらそれが、今回の出向の真の理由なのかもしれないが…考えすぎだろうか。  もちろん犬彦は、うろうろと四六時中付きまとわれたり、ジーッとみつめられたり、自分のいないところで、自分のことを根掘り葉掘り尋ね回られるのは、非常に不快で嫌だった、できれば止めて欲しい。  とにかく、業務に支障がでないように、事を穏便に済ませてしまいたい。  …そうしないと、定時に帰宅ができなくなる。  (ただでさえ仕事が押しているのに、なぜこんなことに…)  
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