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「渚さんは、どのような」
「うん」
私にとって、それは冒険でした。結城さんは咳払い一つ、頭の後ろをぽりぽり書きました。あなたという人物が、どうやら言い表しにくいようで、
「こういう奴だよ」
と、苦し紛れにあなたの絵を指し示し、それでも何か、義務みたいに言葉で表そうとしました。
「不器用、うん。彼奴は不器用なんだ。見なさい、これを。この筆使い。線が少しも細くない。でも情熱はあるんだろうね。こうやって心に響くんだから。もう少し口が達者なら、俺の力なんて要らないんだけども」
そう言って、一人でうんうん頷いておりました。存外しっくりきたようです。その後、結城さんは私の方を見て、少し余裕ができた調子で
「顔もなかなか美男だよ」
と、言いました。その人にとっては、私は女で、そしてあなたが男であるから、そういう報告は私が喜ぶと思っての事だったのでしょうが、これには私、閉口してしまいました。不機嫌でした。うまく言い表せませんが、私のあなたへの憧れが若者の恋だの、そういった俗世間なものと同じように扱われたことが不愉快だったのです。
「良ければ、渚に取り次ごうか」
結城さんにとってみれば、それは恐らく親切でした。しかし、私は断りました。
「あいにく急で、心の準備ができておりませんので。次の機会に、必ず」
そういって、不愉快を顔に出さぬよう努め、結城さんにお礼を言って、そこでおしまい。私は二度とその展覧会へ顔を出しませんでした。また行って、結城さんに会えば、憧れのあなたに会えたのかもしれませんでしたけど、しかし私は、結城さんという俗世間な手に、自らの情念を乗せることがたまらなく嫌だったのです。
そうして、あなたへの想い。それは私一人の胸のうちに、大事にしまっておいて、月日が流れ、結城さんも恐らく忘れたであろう頃。知っての通り、私はあなたにお会いすることができました。
忘れるはずがありません。小さな出版社でいつものように、昼下がり、書類仕事に追われていると、初老の編集長さまがふと私の机に立ちました。
「チヨちゃん、悪いんだがね。今晩空いてやいないかい」
この人はどこか、死んだお爺様に重なるお人で、私は好きでした。
「空いておりますが、何か」
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