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「あんなことをしたのは、今日が初めて?」
ハルトは、俺から目線を外した。ショルダーバッグについているファスナーの金具を強くつまんでぐりぐりとしている。
「初めてです……」
問い詰めるつもりはなかったが、小さな男の子は萎縮してしまった。直哉がハルトを囲うようにした。
「初めてに決まってるだろう。さっきもいったじゃん。ハルトくん、本当はいい子なんだ。ちょっとした気の迷いなんだから、変なこと訊かないでよ」
肩をすくめて「ごめん」と謝った。直哉はハルトの手を取ると、俺たちのマンションとは反対の方へ向かった。腰をかがめて、ハルトの顔を覗き込む。
「確か線路向こうの公団住宅だったよね。こんなに遅くなって、お母さんも心配してるよ。お母さんは店に来てること知ってるの?」
ハルトは首を横にふった。直哉はため息をつくと、軽く首をかしげて、また歩き始める。俺は自転車を押して、二人の後を見守るようにして歩いた。
踏切を渡り、しばらく線路沿いに歩くと、五階建の住宅群が見えてきた。住宅街の方へ向かって角を曲がると、急に道が暗くなり人通りも少なくなる。こちらは大学がある方とは違い、住宅ばかりでお店などが全くないので、ひどく静まり返っていた。棟を二つ通り過ぎると、ハルトの足取りがだんだんと早くなる。いつしかハルトの方が直哉の手を引っ張って歩いていた。ハルトが華奢な腕を上げて、次にある五階建の公団住宅を指差した。
「あそこだよ。ぼくの家は三階」
直哉が「じゃあ」といいかけると、ハルトは直哉の手を強く引っ張り、自分の家のある階段に向かっていった。このまま玄関まで行けば、母親と顔を合わせることになる。未遂に終わったとはいえ、今日のハルトの行いを知っている俺たちは、いったいどんな顔で家族に会えばいいのだろうか。それにハルトだって、バツが悪いに決まっている。俺は慌てて後ろから声をかけた。
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