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「違うんだ。大変なことになった。どうしよう」
直哉は声を殺してそういういうと、唇の前に人差し指を立てた。俺が声を出さずに首をかしげると、直哉は誰もいない通路を見渡していった。
「健人、ハルトくんを知ってる?」
黙って首を横にふった。人の名前や顔を覚えるのが苦手なのは自覚しているが、ハルトという人物については、自信を持って知らないといえた。直哉は元にいたところに戻ると、また隣の通路を覗き込んだ。いったい何が起こったというのだろうか。直哉に続いて俺も隣の通路を覗いてみる。
ちょうどその時だった。一人の小学生と思われる男の子が、その通路から歩いて出てきた。身長は俺の胸まで届くか届かないくらい。細身のジーンズに英語の文字が入った人気ブランドのパーカーを着ている。肩にはショルダーバッグをたすき掛けにしていた。直哉は、すっとその男の子の歩幅に合わせて後ろに続くと、静かに声をかけた。いつもより少し高いトーンで震えた声。緊張しているのは明らかだった。
「こんばんは、ハルトくん。今日は何かいい本は見つかった?」
男の子は肩をビクつかせると、立ち止まって岩のように体を強張らせた。ゆっくりと首だけひねって直哉の方に振り返る。目は大きく見開き、口も開いたままだ。顔をよく見てみると、ちょっと見覚えのある子だった。整った顔立ちで、利発そうな子ども。直哉と話しているところを何度か見たことがある。直哉は、男の子の肩を抱くと、こちらの文庫本のコーナーに戻って来た。そして一冊の文庫本を手にすると、男の子に差し出す。
「これ、おすすめ。すごく面白いから。ぼくの予想では、必ずドラマか映画になるね。これなら百円で買えるからお得だよ」
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