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「まあ、いわれてみれば当たり前か。あれだけふらついていたなら、覚えられるものも覚えられないだろうな」
加納は喉を鳴らした。
「飲んでいたのか? って、どうせ、それも記憶にないんだろうな」
項垂れた。
昨日、加納が飲んだものはアルコールではなく、薬だった。
「でも、あの酔い方は異常だったぜ。加納、まさかやばいことしてないだろうな」
全身が強張る。
これでは、取調室で刑事に痛いところを疲れた容疑者だ。
「まさか」
否定を込めて、加納は笑った。
「それならいいんだけど。ああ、そろそろタイムオーバーだ。また電話するよ」
いうが早いか、一方的に男は電話を切った。
加納は嘔吐をやりすごすためにトイレへと逃げ込み、一村仁志という男を忘れるよう努めた。
だが、一村は何がおもしろいのか、それからというもの、毎日電話をかけてきた。
加納は文句を口にしようとする裏腹、着信拒否にはせずに応対していた。
一村は午前七時半か、午後十一時にかけてくる。
午後は暇だが、午前は講習のため時間制限があった。
しゃべり続けようとする一村を宥める際に理由を聞かれ、嘘を考えるのが面倒だったことからありのままを伝えれば、自分も受講してみたいなどと相手は声音を落とした。
それは、あんに受講できないことを物語っていた。
講習は実習に突入し、レポートの量が増した。
一日中、パソコンと対峙し、目が破裂する錯覚に腹の中のものをすべて吐いた。
今度ばかりは心ではなく、体が悲鳴を上げた。
四肢が干からびて食事も採ることが困難になり、それが一村の言動にもおぼつかなくなったことで、彼の同情を買った。
加納は悪戯心に押され、
「そんなことをいうくらいなら看病に来てよ」
と、誘ってみた。
さすがに命の危機だったし、一村仁志の顔も見てみたかった。
「わかった。でも、ただじゃできないぜ」
「金をとるのか」
「金はいらない。俺が出す条件を守ってくれれば、それでいい」
一村は、どこか頑なだった。
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