0-2

5/5
前へ
/146ページ
次へ
「奪ったりしない」  瞼の裏に、幼い日の自分と加納がいた。  俺はもう彼から多くのものを貰った。  だけど、宏はまだ足りないのだ。  俺は弟を抱きしめた。  大きい体だ。  それだけ月日が経ったということ。  だけど、俺達は大人に成り切れない。  怖くて不安で、人肌が恋しくなる。 「大丈夫。お前には加納がいてくれる。宏、加納と二人で話をさせてほしい」      頬を吊り上げた弟の肩に、手を乗せる。 「一歩、進みたいんだ」  宏が唇を噛みしめる。  こちらの手を払い、無言で病室を出て行った。  数分後には、俺と加納以外いなくなっていた。  俺と加納は、どちらともなく手を重ね、指を絡めた。 「俺は、お前が好きだよ」  俺は口角を上げた。 「俺も好きだ」  加納が微笑む。  つられて笑った。 「俺は亜子と生きていく」 「ああ」 「俺はお前との約束をなかったことにする。俺は俺のために生きる」  加納の唇が伸びる。 「お前はもう、自分のために生きているんだろ?」 「どうだろう? よく甘いって人から注意されるけど」 「死にたいか?」 「死にたい時もある」  でも、と加納が天井を見上げる。 「本当に死にたい時は、死ぬことすら頭にないんだ、きっと」  俺はこういう時、加納と共にいたいと、心底思う。 「しようか?」  加納の体に押され、仰向けに倒れる。  加納の顔が間近に迫り、そして寸でのところで止まった。  俺は首を傾げ、口を少しだけ開けた。  加納の息を口腔に感じる。  触れることはなかった。  言葉もなかった。  それでも、この人を好きだという想いがあった。  確かにそこには、快楽があった。  充分だ。  俺はもう、この痛みで、いくらでも頑張れる。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

80人が本棚に入れています
本棚に追加