第十一章:恋をすると盲目になる

4/7
前へ
/160ページ
次へ
「いらっしゃい」  その日の夜、扉を開けた拓海は満面の笑みで自分迎えてくれた。どうぞどうぞ、と肩を抱いて部屋へ招き入れようとする嬉しそうな顔を見ていると決心が揺らぐ。 「みつきさんが来てくれるなんて、珍しいね」  最近、拓海は自分を名前で呼ぶようになった。自分も二人のときは「拓海」と呼んでいる。職場では「杉浦先生」「たっくん」と呼び合っているが、公私がちゃんとわけられているのは、もしかすると呼び方だけかもしれない。  ちなみに今日は、何の用事なのかは告げていない。恋人は顏が見たいというだけでも立派な理由になるのだから聞かれなくて正解なのだろう。朝、佐藤に迷惑をかけた点の注意だけして、明日から気持ちを入れ替えろ、というだけでもいいのではないか。それは今日だけで、何度も思った。自分がこれから告げようとしていることは、荒療治過ぎなのではないかと迷う。だが、甘やかしすぎた自分に対しても制裁なのだと言い聞かせ、杉浦は拓海に向き直った。 「話はすぐ済むからここでいい」 「どうかしましたか?」  何やら普段とは違う空気を感じたのか、拓海の表情もこわばった。不安そうに揺れる拓海の瞳を見つめ、杉浦は吐き出すように言った。 「俺たち、しばらく距離を置こう」  その言葉を聞いて、拓海の表情はぴしりと固まった。正確には自分の言葉が、拓海のすべてを止めてしまった。 「俺、何かしましたか?」 「してない」  徐々に表情が不穏に変わっていく。 「じゃ、なんでそんなこというんですか?」 「今日、おまえ会議資料の提出忘れてたろ」 「……!」  ようやく現実に戻ったのか、はっと驚いた顏をした。いや、正確にはバレたという驚きだろうか。 「気を付けます! 明日から、ちゃんとやります」 「今日だけじゃない。今年度に入ってミスが多すぎる」 「……」 「その原因は俺にもあると思ってる」 「違います! 俺が至らないせいです」 「二年目の気の緩みに加えて、俺との関係が始まって、環境が変わったせいだと思う」 「ですから、それは俺がちゃんとします。距離を置くなんて、嫌です」 「俺たちは学校でも会えるだろ。別れるわけじゃない」 「でも……でも…」  捨てられた子犬のような目で訴えかけてくる。こんな風に悲しい顔をさせてしまうことは想像できた。けれど想像と実物では違いすぎる。ぐらぐらと意思が揺らぐ。 「まず仕事はちゃんとやれ。公私混同をするな。もうすぐ教育実習期間も始まる。二年目の今は大事な時期だ」 「……」  それは恋人としての言葉ではなく、先輩教師としての言葉の重みも含めた。そのせいか、拓海は言い返してはこなかった。当たり前だ。言い返せないように、逃げ道がない言い方をあえてしたのだから。
/160ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2001人が本棚に入れています
本棚に追加