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 地下鉄が地上に上がり隣の電車と並走するわずかな時間。彼女はいつも同じ場所で本を読んでいた。何度か視線が合い目線で挨拶を交わすことが増えた。ある日、僕は高い湿度のせいで曇っている電車のガラスに『何読んでいるんですか?』と文字を書いた。  彼女はこの文字に気が付くだろうか? 気が付かなくても別に構わないと思っていた。電車がいつものように並走する。彼女が文庫本から視線をあげて、窓に書かれている文字に気が付いた。彼女は少しだけ驚いた顔をして、文庫カバーを外して僕に見せてくれた。 『鏡の国のアリス』 小さく書かれたその文字を呼んだ後、彼女は少しだけ恥ずかしそうにしてすぐに文庫カバーを戻してしまった。  次の日、いつもの場所に立ち文庫本を読む。地下鉄が地上に上がった時、隣の電車の窓に昨日僕が書いたのと同じように文字が書かれていた。 『児童文学が好きなんです』  僕は小さく笑ってしまう。児童文学を読んでいると知られるのが恥ずかしかったのだろう。わざわざ言い訳するように主張してきたのが可笑しかった。笑った僕を見て彼女が頬を膨らませているのが見えたので手を合わせて謝るジェスチャーをすると、彼女は満足そうにうなずいて笑って見せた。  それから、僕たちは電車で会話をするのが日課になった。わずかな時間すれ違うだけなので、会話できることは限られていた。どちらかが質問をして次の日、もう一方が返事を書く。そんなもどかしいような会話。 『あなたは何を読むんですか?』と聞かれれば 『推理ものが多いかな?』と返した。 『いつもつまらなそうな顔で乗ってましたよね?』と聞かれたこともあった。 『君はいつも楽しそうにしてたね』 『本読んでいると嫌なこと忘れられるんです』 『分かる。ハゲ上司に嫌味言われても忘れられる』 『ハゲって情報必要でした?』 『必要。冗談は頭だけにしてほしいよ』 僕の文字を見て彼女が思わず噴き出した。口パクで彼女が「ひどい」と言って笑う。 僕も笑った。
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