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旭の職場は、多くの中学受験生が通う進学塾、『前進舎』だ。
子供を有名私立中学校へ入れたい親にとって、塾を選ぶ基準。そのポイントは、いかに難関中学校へ多くの生徒を輩出しているかが、鍵となる。
旭は、前進舎のスタッフになって三年目だった。
塾生は四年生から六年生まで、クラスは成績順に三つに分かれていて、旭の担当は、六年生の一番下のクラス、Cクラスだ。
生徒たちに「先生」などと呼ばれているが、旭の仕事は事務職で、講師ではない。
主な仕事内容は、生徒の成績の管理、勉強の進め方のアドバイス、簡単な家庭環境の把握などだ。保護者との面談は随時行い、家庭学習のアドバイスをしたり、相談をうけたりもする。
旭は特に、保護者との関係に気を遣っていた。子供の成績が伸び悩むと、塾に文句を言ってくるケースが少なくないから。
一方、大泉親子は、別の意味で旭にとっては特別だった。
六年生から入塾した天は頑張り屋だし、父親の準壱は飛びぬけて熱心な保護者だったからだ。
彼は、天の受験勉強を塾任せにせず、自分でもできるだけ関わろうとしていた。
初めの頃、準壱の質問攻めに面食らった旭だが、彼の人一倍熱心な姿勢に圧倒され、触発された。今では質問や要望を予想して、準壱に渡すための資料を、事前にコピーして用意するまでになっている。
事務所の電話が鳴り、同じくスタッフの雅美が取る。一言二言話した後、雅美は旭にアイコンタクトしてきた。
「旭くん。例の方~」
哀れな子羊を見るような視線を寄こし、雅美は電話を差し出す。
なんだよ、その目は。と思いつつ、一呼吸置き、気持ちを落ち着かせて保留ボタンを押した。
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