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「あたしはココの女将の桃(もも)。あんさんのお名前は?」
「司、です」
「ツカサちゃんね」
中庭に面した廊下。
枯山水風の造りをしていて、石で固められた広い池には錦鯉が泳いでいる。
松、竹、桜、梅、椿。季節感を全く無視した景観が広がっていて、
高い音を奏でる鹿威しの、ゆったりした規則的な音が、和風感を増している。
「そうそう、ルールは守ってくんなまんしね。これも、あんひとから聞いてまっしゃろ?いちばん強い気持ちを思い出したら、元の世界に戻れるゆー・・・」
「はい」
「もし、思い出せんのに、お目当ての子を連れ出そうしたら、」
そこで言葉を研ぎらせると、桃は袂から、あられみたいなものを取り出し、池に向かって弾いた。
太い水音と共に、池の水全部が波のように暴れ出し、何百匹もの巨大な魚が米粒くらいのあられを奪い合った。
柄からして、池の錦鯉に間違いない。
血走った眼であられを巨大な口が狙う。
一匹があられを飲み込むと、一気に池の水は平に戻り、巨大魚も錦鯉に戻っていた。
「もし、ルールを破ったら、あんさんを細切れにして、あの魚たちの餌にするよしに」
桃は、用意周到に番傘を差していた。お陰で濡れずに済んだが、肩を抱かれ横に引っ張られた際、胸に顔が当たっていた。
「ン~?あらまぁ、あんひとのお知り合いにしちゃ、随分青いんやねぇ~。へぇええ、まだまだ坊ちゃんなんやねぇ」
のぼせ上った司を見て、桃はまたコロコロと笑う。
「す、すみませんッ!!」
男子高校生には強すぎる刺激の、桃の色気に喰われてしまいそうだ。
玄関とは反対側の店の奥。
同じく黒い木で造られてはいたが、建具以外には何もなく、殺風景な雰囲気だ。
従業員用の寝泊まりする部屋の押し入れに仕舞い込まれていた、着物と腹掛けを渡された。
着物なんて着た事がなく、結局桃に着させてもらったが、
「あんら、やっぱりカワイいんやねぇ~」と嬉しそうに言われて、思春期男子に、これ以上の地獄は無いと思った。
姿見に全身を映せば、髪型以外は完全に時代劇の丁稚そのものだ。
「顔がカワエエと、何でもお似合いになりますんなぁ」
前を向いたまま、桃が甥っ子を着せ替え人形にして満足な声で話しかける。
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