第4章・8月15日

4/17
前へ
/73ページ
次へ
食事の後、与えられた仕事は、客人の通る中庭に面した巨大な正方形の廊下の雑巾がけだった。 雑巾がけなんて、小学生以来か。 かなり腕に来る。 小休止しながら突っかかるボロ布を必死で前に前にと押した。 鹿威しが空虚な音と奏でるのと一緒に、池の中の化け魚が、餌もないのに、巨大化して、司を食い入る様に熱烈な視線を送って来る。 (誰が、魚のエサになんかなるか) 捕食対象として見られている視線を不快に思いながらも、雑巾がけに集中した。 単純な作業は、逆に頭を働かせてくれたらしく、きのうのことが整理され、自分なりの解釈がまとまった。 イッテンシカイは、人間の世界のすぐそばに横たわっている所謂平行世界で通常、近からずも遠からずだが、8月13日から8月16日の間だけ、松ぼっくりの裏の神社と繋がる。 その3日間だけ、泡と泡がぶつかって一つの泡となるように交わる事がある。 その入り口に喰われてしまうのが、『神隠し』と言われているのだと―――。 神隠しに遭った人間は、元の世界の記憶が無い。 連れ帰るには、『一番強い感情を呼び起こさせるしかない』。 また、この遊郭に居る千加は水揚げが終わったら、ゲームオーバー。 16日を迎える前に、帰れない事だ決定してしまう。 (いちばん強い感情って言ったって) 何が千加にとって、一番強い記憶なのか、幼馴染である自分だって分かるわけない。 無駄、と言えるくらい、長い時間一緒に過ごしてきた。 だからこそ理解し過ぎる。 男と女の違い。 昔は気付かなかった、幼馴染とは別の、欲を孕んだなるべくなら気付かれたくない感情。 もう、何年も、アイツの名前を口にしていない。 気恥ずかしさばかりが先行して、短いアイツの名前が呼べない。 あっちは、相変わらず自分の名を呼びまくるのに。変わらず。 こんな気持ちになっているのは、自分だけなのだろうか?と胸が締め付けられる。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加