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エンジンがかかったままの車の中で、別れの言葉を見つけられずに、2人の沈黙は続いた。
最初に沈黙を破ったのは、私。
「じゃあ、帰るね。送ってくれてありがと。」
孝司は答えずに、私の手を掴んできた。
「やっぱり、駄目か?」
「それは、ルール違反でしょ。」
「沙耶は俺のこと、好きじゃないのか?」
好きに決まっている。でも、そんなこと言えるわけがない。
「好きとか嫌いとかそういう問題じゃないでしょ。」
苦し紛れに出た言葉。答えになってはいないことは分かっているが、そう答えるしかなかった。
最初は軽い気持ちだった。職場の飲み会が終わり、帰る方向が同じだったので、2人でタクシーを拾おうとしていた時だった。
「もうちょっと飲まない?どうせもう終電無いし。」
私から誘った。
静かなバー。私の仕事の愚痴をひととおり聞いてもらった。
「なあ、今日、どっかに泊まらないか?」
本当は断るべきだった。奥さんがいることは知っていたし、孝司もその場の雰囲気に飲まれているのは知っている。でも、自分の気持ちに勝てなかった。
「うん……。」
それが私達の関係の始まりだった。
「あんまりそういうことばっかり言ってると、もう会わないよ。」
嘘。
罪悪感を拭い去るように、おどけた調子で言った。
「ごめん。じゃあまたな。」
孝司が手を離した。
離さないで……。
「またね。」
私はそう言うと、車を降りた。
「もう。バカ。」
孝司に届いたかどうかは分からなかったが、振り向くことはしなかった。
そのままアパートの階段を登る。振り向いてしまったら、この涙を孝司に見られてしまうから。
ほんの少しだけでいい。
私がさっきまで座っていた助手席に、潮風の匂いが残っていることを望みながら。
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