僧侶と老婆

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「ああ、美味かった馳走になった」 何十日ぶりの白い米だろうか。滋味が身体に染みわたるようだ。 「海岸でお坊さまを見つけた時、死人かと思ったわい」 髪の毛は白く、腰の曲がった老女が椀を片付ける。 長年海の仕事をしてきたのだろう。しわが刻まれた顔は赤銅色に日焼けしている。 死人か。確かに袈裟(けさ)をまとった坊主が砂浜に打ち揚げられていれば、そう思うのは至極当然のことだろう。 「お坊様、こんなに痩せて、着物はぼろで、嵐にでも巻き込まれたのかえ?」 日光にやられたのであろう、白く変色した瞳に自分の姿が映る。 これから話すことは信じてもらえるだろうか? 心身共に追い詰められた人間は幻を見るという。 戸口から海の香りが漂ってくる。 海風を吸うと、あの日の出来事が脳裏に鮮明に浮かぶ。 否、断じて幻などではない。 老女が好奇に満ちたまなざしを送ってくる。 粥をもらい、湯あみをさせてくれ、袈裟にも接ぎを当ててくれた。 恩人だ。老女がどう思おうと、それでいいではないか。 「補陀落(ふだらく)というものを知っておるかね?」 一瞬の間をおいて 「へぇ、なんでもこの大海原の西に、偉い仏様がいらっしゃると漁師の連中から聞いたことがございます」 「これから話すのは、補陀落に行こうとして挙句砂浜に打ち揚げられた男の話だ」 老女がほう、とため息とも、感嘆ともつかない声を上げた。
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