11人が本棚に入れています
本棚に追加
前の会社を退職して、貯金はすっかりなくなっていたところで見つけた求人に書かれていた寮完備の言葉。
とりあえず住む場所は確保できそうだと入った会社の寮は会社が借り上げたのだろうか、単なるぼろアパートだった。
けれど、それを気にする余裕もない位の激務で、家には寝に帰るだけだったので関係なかった。
ただ布団に入ってすぐに意識を失う様に眠ってしまうため、横の部屋に住む先輩がどんな生活をしているかは知らなかった。
ある日、夜中だというのに目が覚めてしまった。
その時、コツコツコツという音が玄関の先、共用スペースになっている廊下から聞こえたのだ。
そこは、コンクリートが打ち付けてある。そこに靴が当たる音だろう。
硬質な音は、それがハイヒールだという事が分かる。
こんな時間に彼女を呼んで、糞忙しいにもかかわらず、よくそんな体力があるなと呆れた。
俺の、奥は二部屋、隣が三歳年上の先輩で、その横は空き室の筈だ。
ハイヒールの音を聞いていると先輩の部屋の前でとまった。
ああ、変な音が聞こえてくる前に早くもう一度眠ってしまいたいと布団をかぶり直す。
しかし、一旦止まった足跡はまた、コツコツコツと音を立てながら移動し始めた。
一番奥まで音が遠ざかっていくと、またこちらの方へ戻ってくる。そうして反対側まで行くと、また音を立ててこちらに戻ってくる。
そして、時々隣の部屋の前で足を止めるのだ。
最初に頭をよぎったのは変質者で、その次に思い浮かんだのは先輩にストーカーでもいるのかということだった。
どちらにしろ、鉢合わせるのは御免だった。
そっと、玄関のドアの覗き穴から外を伺う。
大して見栄はしないが、人影位は横の部屋だ。確認できるだろう。
けれど、そこには誰もいない。
バクバクと自分の心臓の音が聞こえる。配管か何かが音をを反響させたのだろうか。
いないはずがないのだ。だって、あんなにもはっきりと音は聞こえていたのだから。
コツコツコツ。
また、靴の音がしだす。
そこでようやくその音の正体が分かる。
足だ。
女の、ふくらはぎから下だけが廊下を歩いている。
時代錯誤としか思えない、紫のハイヒールをはいた女の足だ。
足から上は何も見えなかった。
どっと、背中から冷や汗が噴き出る。
喉はカラカラになったみたいで、声は全くでない。
最初のコメントを投稿しよう!