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てっきりニナは自宅から来るのかと思っていたのに、十分ほどでやってきた。駅前で職場の同僚と飲んでいたらしい。
「こんな夜中まで?」
「休みの前の日だけだよ」
ほろ酔い加減のニナは言い訳のように呟いたけれど、楽しくお酒を酌み交わせる同僚ができたのなら彼女にとっては良いことだと思う。その相手が女性か男性かは敢えて訊かなかった。
リビングはまだ片付いていなくて、ミニサイズの箒とちり取り、ガムテープや不燃ごみの袋が出しっ放しになっていた。
「ごめん、散らかってて」
「どうしたの? 誰か来たの?」
コースターもチョコが乗ったトレーもまだテーブルに残っていたので、そう思ったのだろう。不思議そうな顔でグルッと部屋を見回したニナの視線が、フォトスタンドでピタッと止まった。
縁のガラス部分はギザギザに割れていて、写真の私の胸のところにはガラスが刺さった切れ目がある。写真に残った血の跡と私の指先に巻かれた絆創膏を見て、ニナは顔を顰めた。
「海香が投げつけて割ったんじゃないよね? 誰がやったの?」
「たけっした、さんがっ」
急に涙が込み上げてしゃくり上げてしまうと、ニナは何も言わずに私を抱きしめて背中を優しく擦ってくれた。
その後、ニナに勧められるままソファーに座ったものの、私がまだ上手く話せないとわかると、ニナはホットミルクをいれてくれた。
両手でマグカップを包み込むように持って、ぬるめのホットミルクを飲んだら、なぜだか心が落ち着いてきた。子どもの頃、学校で嫌なことがあると、お母さんはいつもホットミルクをいれて「どうしたの?」と訊いてくれた。ホットミルクには鎮静作用があるのかもしれない。
ニナが片付けを全部してくれてからソファーの隣に座ったので、私は亮ちゃんが竹下さんに誘惑されたところから話し始めた。亮ちゃんがどれほど竹下さんを情熱的に求めたかの件は、さすがに辛すぎて言葉に出せなかったけれど、ニナは察したように頷いた。
「亮さん、今、三十三歳だっけ? その歳になるまで女を知らなかったんだから、そりゃあ相手が誰だって夢中になると思う。十五分間歩きながら話しただけで、すっかり心変わりしたわけじゃなくて、最初は酔った勢いもあったんじゃないかな」
「通夜ぶるまいで酔っていなければ、そんな間違いは犯さなかったってこと?」
「うん、きっと」
そうだよね。私も亮ちゃんがそんな簡単に竹下さんに心変わりするなんて思えなかった。通夜ぶるまいでお酒を飲んでさえいなければ、きっと亮ちゃんは私を裏切ったりしなかったはずだと思う。
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