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   その夜も病院の屋上へむかい空を仰いだ。夜空の天頂には静止したような大きな月があった。膨大な暗闇が頭上に広がり、その空間を月光が満たしている。吸寄せられるように丸い銀板を見つめると、その白銀のごとき輝きに痘痕(あばた)のような小さな黒い凹凸がある。よくみるとわずかに左斜め下が黒く欠けている。その黒い弧の縁が薄っすら判る程度に微光を発していた。  再度、意識を集中させ眼を見開き月だけを見つめた。そのまましばらく両手を広げて静かにたたずむ。『人を狂わす』と言われる光がこの躰に降り注ぐ。刹那、静かに眼を閉じてみた。夜空に浮かぶ圧倒的な存在は、心に留め置かれたままで閉じたまぶたに残光を残し輝き続ける。これは心に月を住まわせるため毎回やる儀式だ。心に輝く月はいちように、太陽の光にはない、おぼろげな悲しみを感じさせた。その孤独で清涼な静けさが僕にはどうしても必要だった。
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