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たとえば、その首筋から肩先にいたる指先からわずかにこぼれおちた毛髪にいろどられるゆるやかな稜線、外部へ露出するようにふくらんだ胸部のみずみずしい流線が下部へしたたりおちて、腸骨の所でまたにわかに肉をやぶりそとへ外へと官能の塊ででもあるかのように際限もなく扇状にひろがり熟れてゆこうとする腰の煩悶が、X字をえがいてうつくしいシンメトリーをなす辺り、まよいなくのばされた脚のすばらしいふくらはぎの張りのある河豚じみたなめらかな肉付き、わずかにもちあげられた踵の清流にみがきあげられたような丸みをおびた玉の足のつややかさ、……
それらのフェティッシュな断片の統一が、みごとに裸像というひとつの芸術的な完成を夢みていた。そしてそれは対象と観察者との秘儀的な関係にあって、はじめて観察者の想像力によってのみなしうるはずだった。つまり、美は観察者があってはじめて存在しうるのである。観察者抜きにしては、いかなる精巧な芸術をも、たんなるガラクタにすぎない。
しかし、これらの形容は、観察者が美によって強いられた面をいなめない。はたして観察者は美を評価しているのか、させられているのか、美はもの自体にそなわっているのか、観察者のなかにだけしかないのか、あるいはその関係が重要なのか、……すくなくともいえるのは、美とはそのような安全な安楽な関係を根底からうち崩してしまうような非常に危険な、ふしぎな魔力にみちたものだということである。すなわち美は木乃伊のようなものか。
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