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やや離れた場所で緑の茂みに隠れるように設置された、煉瓦造りの小さなトイレをついに発見したのだ。
「トイレの神は遥かイギリスの地においても日本のオタを見捨てたまわず! 急げ、オレ様よ。下半身滅亡まであと一分と三十八秒、あと一分と三十八秒しかないのだ」
地球滅亡へのカウントダウンを訴える某宇宙戦艦アニメのナレーションみたいな独り言と共に、デブオタは一目散にトイレへと突き進んでいった。
トイレへ続く小道の両脇には花壇が置かれ、ひとつひとつ花が丁寧に植えられている。
スミレ、デイジー……きっと公園の管理人や心あるボランティアが手入れしたものだろう。
彼女たちは可憐な花々をさやさやと風に揺らし、崩壊寸前の下半身を抱えてトイレへ急ぐデブオタを道の脇から優しく応援していた。
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「ふう、助かったぜ」
間一髪で破滅の危機を脱したデブオタは、腰掛けた便座の上でホッと息をついた。
レバーを回して轟々と流れる水の音が耳に心地よく響いてくる。
「イギリスまで来てお腹を壊すとは参ったぜ。さてはさっきの屋台の親父が黒幕か。日本人のオレ様を毒殺するつもりでフィッシュアンドチップスに一服盛りやがったんだな、ちくしょうめ」
ブツブツ言うと、彼はふっとキザな仕草で前髪をかき上げた。
「だが甘かったな。この程度のトラップでオレ様を倒すなど笑止千万よ」
さっきまで漏れそうなお尻を抱えて公園中を徘徊していた醜態などどこへやら、アニメの見過ぎとしか思えない憎まれ口で独り格好つけたが、トイレの個室は彼一人なので突っ込む者は誰もいない。
緊張の解けた彼は「あーやれやれ」と、大きく伸びをした。
トイレは少し古びてはいたが、まめに掃除されているのか臭気もほとんどなく清潔だった。内装は綺麗で便器も汚れていない。使う人もモラルを守って利用しているのだろう。トイレットペーパーも十分な量がホルダーに残されていた。
「へえ、日本の公衆トイレと変わらないぐらいちゃんとしてんな」
ちょっと感心したようにトイレの中を見回した彼の耳に、その時、ごく微かに音楽が聞こえてきたような気がした。
「うん?」
耳をそばだてるとそれは確かに幻聴などではなかった。
トイレの傍の植え込みから、誰かがごく小さな声量でハミングしていたのである。
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