Ⅱ アーサー王の被疑者達(1)

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「それに、もしもアーサー王が実在とするならば、五、六世紀に土着の民間信仰と習合したキリスト教徒であったことは間違いないのですが、ドゥムノニアの支配していた地域は考古学的に見ても当時、キリスト教が広まっていたようですし、キャメロットの候補地とされるキャドベリー城やティンタジェルもその地域内に存在します。アーサー最後の戦いが行われたカムランの候補地である北サマセットのクィーンキャメルやコーンウォールのスローター・ブリッジ、後にアーサー王伝説並びに聖杯伝説で重要となるグラストンベリーも領土内ですので、確かに伝説で語られるアーサー王を構成する要素はかなりクリアしています」 「で、では、そのなんとかいう国の王様が、実在のアーサー王だったということで……」  意外によくしゃべるマクシミリアンに唖然としながらも、レストレイドは譫言のように呟く。 「いえ、先程も申しましたように、この説にも確たる証拠は何もありません。あくまでも仮説です。なので、明日見に行くキャメロットの可能性が高いとされる丘城(ヒルフォート)の遺跡もドゥムノニア王国との絡みでいけば有力な候補ではあるのかもしれませんが、やはり可能性の域は出ないのです。もっとも〝アーサー王〟の名と〝伝説に語られる彼の業績〟なんかが記された碑文が発見され、それが科学的にその時代の物であると証明されでもしていれば、話はまた別ですがね」 「そ、そうですか……」  完全に圧倒されるレストレイドであったが、マクシミリアンの説明はなおも続く。 「こうしたブリトン人の王をそのモデルとして考える説には、他にも紀元前51年にローマがブリテン島に侵攻してきた際に戦ったカトゥヴェラーニ族の王カタラクスだという説やカンブリアの王ウリエン説など様々なものがあります。596年に亡くなったという記録の残る、ダルリアダ国の王アダン・マック・ガブランの息子の〝アーサー〟もその一人です」 「アーサー?」 「正確にはアーサーに相当するアイルランド名の〝アルトゥイル〟という名前なのですが、このスコットランドとアイルランドに跨る王国の王子などをアーサーだとする〝北方アーサー説〟というものもあります。スコットランドにもエディンバラの〝アーサーの席〟と呼ばれる丘など、アーサー所縁の地は存在しますし、意外に伝承は多い」
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