第1章

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 あの宿には幽霊が出るっていう噂、あれ本当! 俺さ、ネットのオカルト掲示板でその噂を聞いて予約を取ってみたんだ。俺みたいな物好きが結構いるらしくて、もう何ヵ月も待つ事になった。行ってみると結構小さい宿でさ。主人の他に仲居さんが二、三人いるだけ。でも料理はうまかった。部屋は古かったけど清潔で、温泉は大きかったし、まあ満足だった。  で、肝心の幽霊の方だけど。事前の調べだと、ロビーに出ることが多いらしいんだ。だから俺は夜、布団に入らないでロビーのイスに座って待つことにした。  同じ事考える奴らが結構いたし、ロビーは一晩中電気つけっぱなしだし、こんなんで大丈夫かと思ったな。  旅の疲れでちょっとウトウトしてたら、急に枝を折るような音が響いた。そう、ラップ音っていう奴。それで目を覚まして、辺りを見回した。  玄関のガラス戸に、白い着物姿の女が映り込んでいたんだ!  慌てて振り返ったけれど、当然そんな着物姿の女なんてロビーにはいなかった。彼女の体が透けているから、外に立っている誰かじゃないのは分かる。  俺は慌ててスマホで撮ってみた。ほら、これがその写真。フラッシュで反射してよく見えないけど、ここに着物のたもとが映っているだろ? え? なんでフラッシュ焚いたのかって? うるさいなあ、パニックになったんだよ。  写真撮り終わった後、もう一度見ようと思ったら、もう幽霊は消えていた。  俺の他にも見た人がいて、もうその後大騒ぎだったよ。仲居さんに、他の客の迷惑になるからもう少し静かにしろって言われたくらい。  不思議と、怖い感じはしなかったなあ。むしろ珍しい蛍でもみたような、なんとなくほっこりした雰囲気だった。  ちなみに、なんであの幽霊が出るようになったのか、調べて見てもいくつも説があってわからないんだ。自殺があったとか、恋人が無理心中して男の方だけ生き残ったとか。あの旅館で調べてみても、そんな事件は出てこないんだよなあ。  その宿の主人滝沢は、缶ビール片手に従業員用駐車場の隅に座っていた。旅館の厨房から漏れる光が、辛うじて滝沢の背をオレンジ色に照らしだしている。  滝沢の前に煙の様な物が表われ、ふわりと揺れた。 「よう」  滝沢は手をあげて煙にあいさつをした。 「お仕事ご苦労さん」  白い煙は、風に飛ばされることもなく中空を漂っている。
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