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◆◇◆◇
八月になると、地上は日中三十度越えが当たり前だ。
炎天下の外を歩いて汗を掻いた肌は、冷房のよく利いた地下鉄車両に乗った途端に、急激に冷やされる。
車両内にいる間の、束の間のことではあるが厳しい暑さから解放されて、ほっと吐息する……筈だった。
(うん? なんか、ぬるい。それに空気が澱んでる)
空調が利いている筈の車内に、生温くて、カビや埃や湿気っぽい臭気をはらむ、澱んだ空気が車内に籠もっている。
車内の温度が上昇してしまうほど乗客がいるわけでもないし、窓からトンネル内の空気が大量に入り込んでいる様子もなさそうだ。
だというのに、この不快な空気はなんだろう?
表情にこそ出さないが、微かに首を傾げていると、スマートフォンの通知音が鳴る。
すかさず確認すると、祖父からのメッセージだった。
メッセージの内容は、ボクが先程唱えてしまった言霊の意味に心当たりがないか、という質問の返答のようだ。
〈るかが"シュ"を何と思うか。全ては、それ次第だ〉
〈ところで、お前さんは何故、地下鉄に乗っているのかね? 次の駅は何処だい?〉
「えー、これじゃ、よくわかんないよ。しかも、地下鉄になんで乗ってるのかって、どうしてそんなこと訊くかな?」
祖父の返事が不服で、むくれながら返信文を打っていると、傍にいた桜祈がまるでボクをなにかから守ろうとするかのように身を寄せてきた。
「文緒殿がそうお尋ねになるのも無理はない。なにせ――」
険しい表情の桜祈が、素早く車両内を見回す。
「地下鉄は日の光が届かない。そういう所は、人ならざるものの温床となり易いのだよ。しかも、今は盆が間近に控えている。此岸と彼岸の境がぼやけ、特に"そういうもの"が増える。……もっとも、"コレ"は言霊の影響で生じたものなのだろうが」
ボク達のいるこの世界には、ボクの言霊のような万人が知っているわけでも確認できるわけではないけれど、確かに存在する"不思議"がある。
神さま、人ならざるもの、"悪いもの"と呼ばれる呪いのような存在、特別な力を持つ人、人では起こし得ないような不可解な現象等。
物知りなボクの祖父は、たくさんの"不思議"をボクが幼い頃から教えてくれた。そして、桜祈が今説いている話も、その不思議のひとつと云えるだろう。
(お盆とか、彼岸って言うから、多分、幽霊とかそれに類するものの話だよね。でも、最後の『コレ』は、なにを指していたんだろう?)
地下鉄と"人ならざるもの"の関係を説く内に、それとなく出てきた『コレ』という桜祈の発言が非常に気になる。まるで、彼にはなにかが視えているような口振りではないか。
それに辺りを見回していた桜祈の視線が、先程からある箇所――なにもない通路の一点で留まっているのも気掛かりだ。
彼に倣い、ボクも目を凝らしてそこを窺う。
ボクと桜祈が見詰める通路の真ん中――そこに人の形をした真っ黒なものが佇んでいるのが視えた。
しかも、それは一体だけではなく、車内のいたる所に存在していることに今更気付く。
――"シュ"を何と思うか。
黒いものを視認した瞬間、驚愕よりも先に、祖父の言葉とある文字が脳裏に浮かんだ。
「〈呪〉」
呟くと同時、黒いもの達が、一斉にこちらを向く。
(しまった! これ、気付かれたっぽい)
「るか! このお馬鹿!!」
またうっかり言霊を唱えてしまったボクに、桜祈の叱責が飛んだ。
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