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屋敷が見えなくなるまでずいぶん走ると、花はスピードを落として歩き始めた。走る間は抑えられた感情が、途端にせりあがってくる。流れ出した涙は、止まることなく花のほほを流れた。花にはどうしていいかわからなかった。怒りや失望や悲しみの感情が誰に向けてなのかさえ、分からなかった。屋敷の周辺はしばらく家もなく、のどかな風景が広がっている。坂をもう少し下ると下夜見岬の街並みが見えるはずだが、花のいる場所からはまだ距離があった。花の嗚咽を聞くものは誰もいない。人気がある場所まで歩く間ひときしり泣いた後、花は制服の袖で涙を拭いてバスに乗った。どこにも行く当てはなかったが、花はとにかく屋敷から離れようと思った。バスは下夜見岬と上夜見岬の中間のエリアへ向かっていった。そこは夜見岬全体の中心街だった。日もまだ沈んだばかりの夜の浅い時間。ネオンが光る街は遊びに出る学生や家路を急ぐ大人たちであふれている。バスから降りた花は、泣いた後を隠すようにうつむき加減に歩く。人込みを器用にかき分けて進んでいると、目の前にいた人間にぶつかった。花は顔を上げる。
「蛭子花。これから家の仕事か?」
そこには普段着姿の鬼ヶ崎伊織が、いつもの皮肉気な笑みを浮かべて立っていた。会いたくない人間に会ってしまった。気まずさがいつにもまして花にぶっきらぼうな態度をとらせる。
「なんで、あんたがここにいるの。」
伊織の皮肉交じりのあいさつを無視し、花は投げやりに問う。
「何でって、言っただろ?俺がお前を監視してるって。もう忘れたのか?」
伊織は真面目な顔になりそう答える。花は、そういえば今朝そんなことを言われていたと思い出した。なぜこんな時に姿を現すのか。目障りな伊織に向かって花は毒づく。
「気持ち悪いんだけど。そういうのストーカーって言って犯罪だから。」
「犯罪一家の人間に言われたくないな。それに俺たちは、お前たちの罪を暴くためなら手段は選ばない。お前たちの権利なんて知るか。」
伊織は悪びれもなくそんなことを言う。それから続けて、
「でもまあ、今回に限ってはお前にここで会ったのは偶然だ。」
さっきのは冗談だ。そういってニヤッと笑った。花はなんだかどっと疲れた気持ちになった。
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