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一、
海は、きらいだ。
理由なんてない。
海を見ているだけで、心の奥がざわざわとして、落ち着かない気持ちにさせられる。
だから、修学旅行でも、家族との旅行でも、恋人とのデートでも、海の付近に行くことだけは避けてきた。
映像でも写真でも、ざわつく心は同じで、できるだけ視界に入れないように気を付けていた。
「ねぇ、お母さん、どうして海がダメなんだろう」
「そうねぇ、嫌な思い出ができるほど、海には行ってないから、どうしてだろうってお父さんも言ってたわねぇ」
ということは、私の海嫌いは、生まれ落ちた頃からのものらしい。ますます、不思議に思ってしまう。
「そういえば」
「え」
たった今思い出した、というように、母が声を上げた。
「お父さんも、若い頃海が嫌いだったらしいわ」
「そう、なの?」
それは、初耳だ。父は優しくて、怒ったところなんて見たことがなくて、怖いものや嫌いなものなんてありません、という人だった。
「いつ頃からか忘れたけれど、いつの間にか平気になったって言ってたけど……そうね、あなたが生まれた頃くらいからかしら」
ずっと海が嫌いだった父。
私が生まれた頃に、海が平気になった父。
そして、生まれた頃から海が嫌いな私。
これは、どういうことなんだろう。
気付いてしまうとたまらなくなって、そわそわしてしまう。
「あら、出かけるの?」
「うん、ちょっと……」
たぶん、お互いに気付いてなかった。
これが、さいごの会話になるってことに。
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