10人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「……ごめんね。羽海ちゃんの家、漁師はいないのに……。」
ひとりの女の言葉に一瞬、羽海の表情が曇る。
「ちょっと!……今のは言っちゃダメよ!……ごめんね、羽海ちゃん!……気を悪くしないで……」
別の女が、羽海に小さく頭を下げる。
羽海の父は、町でも評判の漁師だった。
漁師達のリーダーのような父。
大漁旗が靡く船の群れ。
その中心で大きく手を振る父は、羽海の自慢であり、誇りであった。
魚の捌き方を教えてくれたのは、父だった。
「漁師の家に生まれたんだ。漁師の妻とか娘とか、そういうのが集まってる所へ行くのもいいだろう。話題作りにもなるし、友達が出来るかもしれない。」
そう、父は言ってくれた。
そんな父を……
……高波が連れ去った。
漁師達の中で、ひとりだけ。
他の船達は、みんな帰ってきたのに、父の乗った船だけは、帰ってこなかった。
「親父さんが、荒れそうだから早く帰ろうって合図を出してくれたんだ。みんな引き上げるのを待って、それから動き出したと思ったら……」
責任感の強かった、父。
そんな父は、まだ大丈夫……と進もうとする漁師仲間の船を何とか帰し、全員が戻ったのを見届けてから、帰ろうと向きを変えた。
そんな、少し引き上げるのが遅れた父の船を、波は容赦なく、無慈悲に飲み込んでいったのだ。
「……いいんです。私だって、漁師の家族。海の危険は教わってきましたから。家族が漁に出るときは、覚悟して……送り出していくものでしょう?」
少し切なげな表情をした羽海であったが、包丁を止めることなく、優しく言う。
父は、まだ見つかっていない。
船さえ、流れ着いていない。
生きているのか、それとももう……
諦めはついている。
海とは、そう言うものだ。
ただ、父の姿も、船も見つかっていない。
そんな現実が、「もしかしたら……」と言う仄かな期待を、希望を……
胸の奥底にちらつかせていた。
「お疲れ様!今日もありがとうね!」
作業は、深夜までおよび。
ようやく解放された女達が、口々に労いの言葉を掛け合い、散っていく。
「お疲れ様でしたー。」
そんな女達を見送って、羽海も家路につく。
最初のコメントを投稿しよう!