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「お袋……俺はよ、ちょうど今の羽海の歳から漁師だったからよ……バカだからよ、年頃の女の子に何してやればいいか分からねぇ。」
祖母が、羽海に優しく話し出す。
「漁師の子に生まれちまったばっかりに、母親には逃げられ、こんなバカな親父は留守がちで構ってやれねぇ。きっと、アイツは……羽海は不幸な娘なんだ。」
祖母が父の口調で話す。
父が祖母に話している、その光景が勝手に脳裏に浮かんでは消えていく。
「だからよ、お袋。ひとつくらいは親父らしいことをしてやりてぇ。アイツが幸せな人生を送れるとき……アイツに好い人が見つかって嫁ぐとき……」
桐の箱の中には、鮮やかな、美しい反物が入っていた。
「女らしく、こいつを着せてやりてぇ。……でも、俺も海の男だ。何が起こるか分からねぇ。羽海が結婚する前に、俺がどうにかなっちまったら……お袋、頼むわ。」
羽海が反物を持ち上げると、下には紙切れが入っていた。
『お前の世代に合うか分からねぇ。趣味に合わなかったら、雑巾にでもしてくれ。』
広告の裏に書かれた、走り書きのような手紙。
豪快な父が、一生懸命照れ隠しをしているように見えて……
「ばか……こんな立派な雑巾……なんて、使えないよ……」
反物を胸に抱き、羽海は泣いた。
「羽海、あんたは……不幸な子、だったかい?」
祖母が、羽海の頭を撫でながら訊ねる。
教えてもらったのは、魚の捌き方と……
美味しい魚の見分け方。
男には、勝負するときがあるとか、そんな精神論。
豪快な、魚の食べ方。
海の男の、生きざま。
周りの女の子が教わるようなことは、雑誌で、自分で調べた。
それでも。
父と食べた魚の丸焼きは、驚くほど美味しかった。
選んだ魚の刺身は、驚くほど透き通っていた。
父が磨く船は、まるで秘密基地みたいだった。
たくさんの漁師に囲まれ、中心で大笑いする父は……
カッコ良かった。
「不幸なわけないよ……。私は、この町いちばんの漁師の娘だったんだから。この町で、いちばんカッコいい男の、娘だったんだから。」
白い反物に涙が落ちないよう、そっと桐の箱へとおさめ……
羽海は、祖母の胸で泣いた。
「羽海、お父さんの分まで、幸せな人生を、歩いていきな……」
優しく、羽海の背を撫でる祖母。
羽海は、数年ぶりに、大声をあげて、泣いた。
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